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戦争反対▶︎空自、米と共謀訓練

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毎日新聞 2017.7.31から
米空軍のB1爆撃機と空自のF2戦闘機が朝鮮半島沖で共謀訓練。

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by kenagena38 | 2017-07-31 09:28 | Comments(0)

国際連帯で朝鮮半島への帝国主義戦争を阻止しよう!8・6ヒロシマ大行動

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 在日米軍海兵隊岩国基地を朝鮮半島への出撃基地にするな!




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by kenagena38 | 2017-07-28 16:08 | Comments(0)

とめよう戦争への道!百万人署名運動

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岡山駅前街宣 2017.7.27

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by kenagena38 | 2017-07-27 23:51 | Comments(0)

殿様バッタの幼虫?

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 成虫で、こんな色のバッタ見たことないので、殿様バッタの幼虫では?と思ったが、、、
 これが成虫で、みどりのバッタがいるのかも。チョンギース・キリギリスの幼虫?、、、




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by kenagena38 | 2017-07-27 20:52 | Comments(0)

徳島集会 2017.7.14

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by kenagena38 | 2017-07-26 17:29 | Comments(0)

平良修さんの星野文昭さんの仮釈放についての請願書 4/4

したような言葉ではないか、と私には感じられる。このようにして日本は、一貫し
て沖縄を、ただ自己利益のために利用してきたのではなかったか。

 以上私は日本国による琉球処分の現実の一端を紹介しました。星野文昭さんは私
が紹介した沖縄の現実、そして自国・日本の悲しむべき不正義を知った良心の人だ
ったのです。
ですから、声を上げざるを得なかった。デモを通して差別的国権と対決せざるを得
なかったのです。誰が彼のこの人間行動を非難できるでしょうか。日本国は残念な
がらその非難を受けて当然な国家なのです。しかも、にもかかわらず無実であるこ
とが明らかなその人を犯人として30年余にわたって刑罰を与え続けているこの非道。
私は怒りと同時に日本国国権の大きな過ちから来ているこの残酷な現実を黙認する
ことは出来ません。私の故郷のために苦境に追い込まれている彼のこの現実への同
情と悲しみと怒り。日本国は正義の通る国であるべきです。にもかかわらず全く真
逆なことをしている国家を私は悲痛な思いで告発せざるを得ません。冤罪の被害者
である星野さんは刑務所ではなく普通社会に在るべき人なのですから。
 本来は、仮釈放の要請など、申し出ること自体そのものが筋違いなのだとの思い
を強くしながらも、現実を無視することは出来ません。
 したがって、仮釈放の可能性を持つ時期に達している星野さんには、どんなこと
があってもこの最低の処置、仮釈放は認められるものと私は確信しております。
 貴委員会の義に叶った「仮釈放」ご決断を心からお願いする次第です。

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by kenagena38 | 2017-07-25 16:09 | Comments(0)

平良修さんの星野文昭さんの仮釈放についての請願書 3/4

 「第三次琉球処分」は本土日本国の独立回復(1952)の裏で沖縄がその代償
として米軍支配の下に置かれ続けることになったことを指します。それは日本国天
皇の意思でもありました。米軍統治下の20年、沖縄住民は呻吟せざるを得ません
でした。

 「第四次琉球処分」は、沖縄住民の日本国への復帰を求める激しい復帰運動の結
果、復帰が実現し、「沖縄県」が回復されたことです(1972)。形式的には沖
縄県の回復はなりましたが、しかしその内実は住民の反戦反基地願望を裏切る内容
のものでした。それまでの米軍支配体制から日米安保体制への繰り込みだったから
です。
 沖縄県を回復したその後も琉球処分はなお続いています。たとえば、普天間米軍
基地の辺野古への移設問題です。圧倒的多数の県民の意志にもかかわらず、まさに
現実は第五次琉球処分の真っ最中としか言えない状況です。
 沖縄民衆の日本国への反発は激しく高まっています。数年前に設立された「琉球
民族独立総合研究学会」の設立がその現実の一つです。琉球王国を強引に併合した
日本国は謝罪して独立を沖縄に返すのが筋なのではないでしょうか。
 ところで、数年前から新しい動きが生じています。それは、全国の0・6%しか
ない面積の沖縄県に、全国の米軍基地面積の70%が置かれているという現実に対
して、日本国民としての自己責任を痛感した人たちが動き始めている「沖縄米軍基
地を本土に引き取る運動」です。その動きに共鳴して刊行された「沖縄の米軍基地
ー『県外移設』を考える」(高橋哲哉著)の冒頭の言葉を引用します。

 岡本喜八監督の映画「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971年)に、こういうシ
ーンがある。沖縄守備隊・第32軍は、米軍との決戦を前に最精鋭の第九師団を台
湾に抽出され、危機感を強めていた。姫路第84師団の沖縄派遣の知らせに一旦は
喜んだが、この決定は翌日すぐに大本営によって撤回され、ぬか喜びに終わる。憤
懣やるかたない様子で詰め寄る参謀本部作戦課長・服部卓四郎大佐を、作戦部長の
宮崎周一中将が一喝する。
   沖縄は本土のためにある!それを忘れるな。
   本土防衛が遅れている今、沖縄のために本土の兵力を割くわけにはいかん。
   32軍の気持ちは十分に分かるが、私は大局的な立場から中止と判断した。
「沖縄は本土のためにある!」。近代日本を貫く沖縄に対する態度を、たった一言
に凝縮 
→つづく





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by kenagena38 | 2017-07-25 13:06 | Comments(0)

さるすべり満開

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by kenagena38 | 2017-07-25 09:14 | Comments(0)

平良修さんの星野文昭さんの仮釈放についての請願書 2/4

包み込む内容の沖縄施政権返還協定を可決承認したのです。
 沖縄と怒り悲しみを共にした良心的な日本人たちは立ち上がりました。それが1
971年11月14日の渋谷デモでした。そのデモに参加した大学生グループのリ
ーダーであった星野文昭さんは、デモの真っ只中で死亡したー警察官の殺害指揮者
・殺害者として逮捕され、無期懲役刑に処せられ、以来およそ40年にわたって刑
務所で、無念と苦痛の日々を強いられています。あらゆる証拠によってそれが冤罪
であることが明らかであるにもかかわらずです。
 国家的差別に泣く沖縄と共に正義を求めて立ち上がった星野さんに、私は強い共
感と感謝を禁じ得ません。「本土」の日本人の全てが共感・共苦しなければならな
い沖縄のこの現実を、星野さんは代わりに苦悩してくれているのです。
 “”あなたにとって沖縄の心とは何ですか”との問いをマスコミから受けた時、か
つての沖縄県知事(故人)は”私にとって沖縄の心とは日本人になりたくてなり切
れない心です”と答えました。何故その人はそのようにも呻かざるを得なかったの
でしょうか。それは日本史の中の沖縄史を紐解けば歴然です。

 沖縄県はかっては500年も続いた琉球王国という独立国家でした。それが日本
政府(明治政府)によっていわゆる「琉球処分」(琉球王国の滅亡)させられ、強
引に日本国沖縄県に併合させられたのです。いわゆる「琉球処分」です。
 それ以後の沖縄県史は日本国の国内植民地史以外のなにものでもありません。日
本国による琉球王国の廃国と沖縄県の設置を第一次琉球処分(原処分)と私たちは
呼びます。それは日本政府の命令により、武力によって琉球王国を沖縄県に切り替
えた日本政府の処分担当役人の「琉球処分官」という肩書きから来ています。以来
沖縄県の歴史は2017年の今日まで「琉球処分」の連続史です。

 沖縄戦は、「第二次琉球処分」でした。沖縄戦は、次に連合軍が攻撃するであろ
う日本本土の防衛体制整備までの時間かせぎの戦闘だったのです。
 在沖日本軍の役割は米軍を殲滅することではありませんでした。日本本土が連合
軍を迎え撃つ体制を整えるまでの時間かせぎ、米軍を一日でも長く沖縄に釘付けに
することこそが沖縄日本軍の役目だったのです。その結果3カ月にも及ぶ地上戦の
結果、4人に1人の民間人までも巻き込まれて戦没させられる地獄となったのです。
→つづく

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by kenagena38 | 2017-07-25 08:27 | Comments(0)

徳島刑務所無期懲役囚・星野文昭さんの仮釈放についての請願書 2017年7月14日「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」共同代表・平良修

 私は沖縄県生まれ、沖縄県育ち沖縄県在住の者です。年齢85歳。職業は日本基
督教団沖縄教区牧師です。
 アジア・太平洋戦争終結に続く連合国による日本の占領が終了し、日本国が独立
を回復した1952年、沖縄は日本国から外され、米軍支配下に残されました。そ
の後20年間、沖縄は米国高等弁務官の独裁的支配のもとに辛苦の時代を過ごすこ
とになりました。
 私たち沖縄県民は、日本国民としてあの戦争を戦い、地上戦の生き地獄に投げ込
まれ、住民4人のうち1人が戦没する苦悩を耐え抜きました。そして終戦後、米国
を主体とした連合国支配の終結による日本国の独立回復のとき、沖縄はその代償と
して米軍統治のもとに取り残されたのでした。
同じ日本人なのにこの措置はなんとしたことか!沖縄住民は苦悩しました。それか
ら20年に及ぶ米軍支配の中で、沖縄の私たちが切望したのは、新しく独立国とな
った日本国の平和憲法への帰国でした。そして苦節20年の後、1972年、日本
国への「復帰」の念願が叶えられたのでした。
しかし、その「復帰」の内容は沖縄住民の願望を完全に裏切るものでした。私たち
が望んだのは、軍隊を持たない非戦主義平和憲法への復帰、米軍による軍事支配か
らの生還、主権在民、人権尊重の新日本国への復帰でした。しかし現実は、日米安
保体制に沖縄のすべてを差し出す形での、つまり、施政権返還後も沖縄の米軍基地
体制は不動というものでした。沖縄住民は絶望のあまり泣き、怒りました。沖縄は
島あげてのデモにより日米両政府に怒りの抗議をしました。

 その沖縄の失望、怒り、反撥に、全面的に共感した日本本土の心ある大衆は、「
渋谷デモ」と呼ばれる大規模なデモによって沖縄と連帯してくれました。
 日本政府に対して施政権返還協定の内容に異議申立てをすべく、琉球政府行政主
席(現在の県知事)が日本政府に対する燃えるような苦痛の建議書を届けるために
羽田空港に到着したそのとき、日本国国会は沖縄万民の異議申し立てを無視して、
日米安保軍事体制に
→つづく


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by kenagena38 | 2017-07-24 21:52 | Comments(0)